日テレの中国のパラリンピック事情(かなり熱心に行い、アテネ大会ではメダル獲得数一位だそう)を見ていて、思い出したことがあった。


ランディ
『神様はいますか?』

この本の中に、筆者が身体障害者の方の家に行って、お風呂に入れてあげたりするボランティアをしていた話がある。
その時に、身体障害者の方にどうやって接していいかわからず、異常に優しくしてしまったのだけど、その人は「大丈夫。私はちゃんとした大人です。」と答えた。
また、その人に「自分がおごるからお寿司を食べよう」と誘われた時も、
(障害者の方にごちそうになっていいものか…)と悩んでしまったというエピソードがある。
ランディさんは自分が知らず知らずのうちに彼女を見下していたこと、別世界の人間だと思っていたことを恥じ、「痛みは共有できないから、喜びや快感を共有しようと思った。」ということを述べていた。

確かに、障害者の人の痛みとか気持ちはわからないけど、あったかいお風呂に入ることとか、その後に冷えたビールを飲むこととか、日向ぼっこすることとか、おいしいお菓子を食べることとかは、喜びを共有できる。




あと、ちょっと話はずれますが、中国とか韓国とかの反日運動とかの様子をYouTubeとかで見ててめちゃへこみます。
あんまり怒りはなくて、悲しくなる。
でも、私は実際に中国人の知人も韓国人の知人もいたから、全員が日本嫌いなわけじゃない。って思えます。
で、中国の人の思いも、韓国の人の思いもしっくりこないとこはあるけど(もちろん高校の日本史レベルの知識はありますが)。
中国人(四川)のコに「日本の麻婆豆腐はぜんぜん辛くないからだめ!」とdisられたり、韓国のコに「日本人の男の子は自然に女の子をエスコートしないからだめだね」と言われたりした瞬間、そこは人種をこえてただのガールズトークになる。

逆にいうと、そのコたちが故郷で日本の悪口を聞いたとき、
「日本人が全員悪いんじゃないよ」って私と仲良くなったことにより話してくれるかもしれない。



まとまらないけど、悲しいこととか怒りとかより、楽しいこと、うれしいことは、簡単に共有できるって本当すばらしいことだと思う。